こんにちは、ナミです。
九州の廃墟シリーズも、ついにラストです。
放置されてすっかり“ヤバか”代物になってしまいましたが、その土地の歴史を物語る貴重なものばかりです。
1:豊後森機関庫
1930年代に国鉄の新設に合わせて建設されました。
車庫かつ、入れ替えを行う重要なスペースです。拠点となる駅の最寄りにあり、アーチ型が特徴的でした。
1970年代に入ると、動力に対する見直しが進みます。
大気汚染の原因となる「すす」が問題視され、燃料が軽油に変わりました。また、車体が変わることで入れ替えも不要になりました。
近代化によって、役目を終える形になりました。
意義は失いましたが、歴史を語る貴重なものです。
2000年代には残すための動きが起きました。
10年を掛けた取り組みにより、遺産や文化財に認められています。
2:志高ユートピア
大分県の湖畔にあった、風光明媚なレジャーランドです。
大人も楽しめる豪華なサーキットが特徴的でした。
当時は珍しく、西日本初の施設として話題になりました。
敷地は広大で、観覧車や巨大迷路がありました。
リフトで景色を楽しみながら、近くのアミューズメントパークと行き来でき、大人だけでも、子供連れでも満喫できる人気施設でした。
しかし、2000年代に入り営業を休止しました。
その後、10数年はそのまま残っていましたが、現在ではすべて解体されてしまいました。
自然豊かな環境を生かし、太陽光のためのスペースになっています。
3:レキオリゾートホテル
1990年代は、沖縄が脚光を浴びました。
国際博覧会が行われたことが契機になりました。
南国の雰囲気を醸すリッチなホテルが、相次いで建設されました。
時代の流れで、客足は急激にダウンします。
その特徴的な構造は魅力である一方、売りにくさもありました。
取り壊すにも莫大な費用がかかるため、そのままとなってしまいます。
こちらも例外ではなく、手つかずのままになりました。
窓は壊れ、豪華なプールも苔が生えたままです。
中に入ると、いたずら書きのアートが広がります。
危険なハブが多く出るので、注意が必要です。
4:中城高原ホテル
中城は、沖縄の保護すべき文化財の認定を受けています。
このエリアを観光地として発展させるため、ホテルをつくることが計画されました。
オープンは、1975年の国際博覧会当日に決まりました。
1万1000平方メートルの広い敷地に、県内初となるテーマパーク、動物園の設置が予定されました。
しかし、オープン目前に建設会社が破綻してしまいました。
工事がストップし、開業することはありませんでした。
中途半端な状態で廃れたこともあり、実は開業したけど死亡事故があったのでは、など、数多くの噂が流れました。
5:燐鉱石貯蔵庫跡
沖縄本島から片道14時間の場所に位置しています。
1900年代以降、リン鉱石を掘り出す地として繁栄しました。
採掘は、高度な技術と多額の資金が必要です。
作業員が確保できない等の問題から、1910年頃に、事業は一度失敗に終わりました。
その後、大戦をきっかけに価格が跳ね上がりました。
これを受け、新たな事業主がリスタートし貯蔵庫をつくりました。
他地域やアジアからも労働者が集まり、採掘量が拡大しました。
戦後、機械化によりクオリティを下げ、資源も枯渇し閉業しました。
今でも、トロッコやレンガ壁が残っています。
まとめ
いかがだったでしょうか?
ホテルは、ただ古いというだけでも緊張感があるのに廃墟って。怖すぎます!
古い建物は、倒壊など物理的な危険もあります。
むやみに近付くのは危険ですよ!
と言っても、廃墟好きさんには届かないと思いますが…。