国家の発展の歴史を見ると、そこには必ず人がいます。
戦の時代には、戦場で多くの兵士・戦士が活躍しました。
その中には、とりわけ屈強だった猛者たちがいます。
今回は、そんな猛者たちを率いて世界で名を馳せた、強大な軍団をご紹介します。
古代ローマ軍団
その存在は、古代の戦士のシンボルです。
軍兵の甲冑「ロリカ・セグメンタタ」はあまりにも有名です。
規律を尊重するスタンスは逸話になっています。
優れた軍団の形成の背景には「マリウスの改革」があります。
マリウスは貧困層に着目しました。歩兵を職業とし、働きやすい環境を作りました。
これが、軍事にとどまらず、国家全体の発展にも寄与しました。
ハイレベルな訓練が行われ、戦闘や偵察など、任務は拡大しました。
密集した布陣を築く戦法も、特徴的です。
その機能や装備品は、時代に合わせて変化しています。
中世ヨーロッパの騎士
騎士と言うと、どんな姿を連想しますか?
背筋を伸ばし、カッコよく馬にまたがる姿でしょうか。
実は、中世後期には、馬に乗らずに戦っていたそうです。
騎士の登場は8世紀に遡ります。
時代によって、騎士のスタイルは大きく変化してきました。
装備品もその一つです。
ヨーロッパでは、15世紀末~16世紀初頭に、板金鎧が開発されました。
その後、南部と北部とで、ゲルマンスタイルとイタリアスタイルに派生します。
さらに、他国の多数派とは一線を画す、英国式も生まれました。
武器は、主に槍や鈍器がメインです。
剣は鎧に対する効果が低く、戦場では鎖を切るサブ的な道具でした。
それ以外は、身分の証としての意味合いが大きかったようです。
ペルシアのアタナトイ(不死隊)
ペルシア帝国のアケメネス朝に、不死隊と呼ばれた部隊があります。
1万人もの大勢の兵を備えながら、「不死」とはどういうことなのでしょうか?
不死隊は、兵士が負傷するとすぐに、他の兵士を補います。
どんなに倒れても、常に1万人を維持し続け、まるで何も起きていないかのような状況を作り上げていました。
そのような豊富な人員を確保できたことからも、当時の国家の強大さを感じ取ることができます。
不死隊は、複数民族で築かれていました。
装備などは統一されず、民族ごとに多彩でした。
基本的には、装備も暮らしぶりも豪勢で、鎧は金で着飾られ、使用人や幌馬車を連れていたそうです。
イギリスのロングボウ兵
ロングボウ兵を語るうえで外せないのは、アジャンクールの戦いです。
百年戦争のさなか、イングランドとフランスが繰り広げた戦いです。
ロングボウ部隊は、倍以上の人員を擁したフランス軍に圧勝しました。
この戦いの勝因は、ロングボウにあると言われています。
しかし、ロングボウそのものが革新的だったわけではありません。
集団で使用したことと、それを可能にしたスキルが素晴らしいものでした。
ロングボウの扱いには、高いレベルが必要です。
完璧に使いこなせてこそ、威力が発揮される武器です。
兵士の熟練度はもちろん、その育成力が注目を集めました。
侍
外国では、侍は日本を代表する戦士として扱われています。
もともと日本では、いわゆる官人に対する呼び名でしたが、そこから武士をさす言葉になりました。
はじめは、薄い板に穴を開けて紐でつないだ鎧が用いられました。
頭からかぶって両肩に掛け、胸と背中を覆います。
頑丈であればあるほど、かなりの重量がありました。
ご存知のとおり、侍と言えば、巧みな刀使いです。
戦いでは、弓や槍も使っていたそうです。
次第に、ポルトガルから銃が入ってくるようになりました。
武器や戦い方の変化に合わせ、大量に作れることも考慮されました。
ヨーロッパなどからも影響を受けながら、素材の改良、軽量化が進みます。
こうして生まれた当世具足は、とても有名な鎧です。
まとめ
いかがだったでしょうか?
目的は同じでも、いろいろなスタイルがありますね。
武器だけでも、技術だけでも、勝つことはできないし、
個が強くても、チーム全体で力が発揮できないと意味がありません。
そう思うと、総合力を上げるのはとても大変ですね!
そういう勇ましさも、とってもカッコイイです!
最後までご視聴いただき、どうもありがとうございました!