今では想像もつきませんが、戦いが日常だった時代があります。
理論や兵法など、戦い方は様々ありますが、
体ひとつで戦い、その強さで周りを圧倒した男たちがいます。
今回は、最強と呼ぶにふさわしい武人5人をご紹介します!
Contents
史上最強の剣豪 塚原卜伝
塚原卜伝は日本が誇る剣豪です。
実父と養父から異なる流派を学び、新たな流派「鹿島新当流」を開きました。
卜伝はとにかく負け知らず。切り傷すらなかったそうです。
生涯で200人以上を倒したとされ、まさに剣の達人でした。
卜伝の伝説は、教えとして、現代に語り継がれています。
船の上で、剣士に戦いを挑まれた時のこと。
「陸で戦う」と相手に告げ、島に向かいます。
島に近付くと、気がはやる剣士は、船を飛び降ります。
卜伝はそれを確認し、剣士を置いて来た道を戻りました。
卜伝はこれを、戦わずして勝つ「無手勝流」と呼びました。
この言葉は、別名「卜伝流」として現代に残っています。
史上最強の剣闘士 コンモドゥス
コンモドゥスは、第17代ローマ皇帝です。
一方で、秀でた剣闘士としても名を馳せました。
恵まれた体は鍛え上げられ、見事な剣術を持っていました。
コンモドゥスは実に多才で、馬術の才能も優れていました。
また、闘技場に姿を現しては、弓や槍を巧みに使いこなし、獣を射る姿を見せました。
本人が自負するとおり、その腕前は抜きんでていました。
鳥類最速とされるダチョウですが、その全力疾走する頭を射抜いたり、手投げの槍で、ミスなく豹を仕留めたり…。
その様子は、民衆たちに恐ろしさを感じさせるほどだったそうです。
3:史上最強の騎士 ウィリアム・マーシャル
ウィリアム・マーシャルは、イングランドの政治家です。
もともとは、決して裕福ではない家柄ですが、5人の王のもとで働き、役職を得て、地位のある立場になりました。
一方で、500戦無敗の記録を持つ、伝説の騎士でもあります。
いくつものトーナメントに参加し、多額の賞金を獲得しています。
それによって、大きな財産を築き上げたそうです。
ル・マンでは、リチャード王子と交戦しました。
王子を馬から下ろさせ、降伏状態に追いやったそうです。
「マーシャル」と言えば、今や国内だけでなく、欧州でも、ほとんどの人がウィリアム・マーシャルを挙げるほどの有名人です。
史上最強の武将 三浦義意
三浦義意は、戦国時代に名を馳せた武将です。
武家集団「相模三浦氏」の最後のリーダーでもあります。
相模三浦氏は、神奈川県を拠点とする一大勢力でした。
歴史書によれば、義意はかなりの大男です。
背丈は2.3メートル、鎧の厚みは6センチ。
3メートルの八角材で棒を作り、一度に10人をなぎ倒す…。
脚色があるに違いありませんが、相当強かったのでしょう。
「八十五人力の勇士」という異名が物語っています。
1500年代はじめ、北条早雲(そううん)と戦い、土地を追われます。
父・三浦義同と一緒に城に立て籠もりますが、戦に敗れます。
父の自害を受け、義意も切腹、または敵に殺されたなど、諸説あります。
史上最強の拳法家 李書文
拳法の世界で最強と言われるのが、李書文です。
書文はとにかく強く、負けたことがありません。
武器を持たない武術で、多くの敵を倒しました。
そして、戦いのほとんどが一瞬で終わります。
様子見とも言える最初の一撃で倒してしまうのです。
大技を出す前の突きひとつで相手を殺してしまい、警察に捕まらないよう、逃げ帰ったこともあったとか…。
また、槍の扱いも達者で、その実力は「神槍」と呼ばれるほど。
ハエを槍で突き落としたという仰天エピソードには、さらに続きがあり、ハエが止まっていた壁に、まったく槍が触れていなかったそうです。
書文には、このような数々の逸話が残されています。
まとめ
いかがだったでしょうか?
みんな、強さもエピソードもカッコイイですね!
とてもストイックそうですが、どんな人物だったのかも気になるところです。
可愛かったり天然だったり、意外な一面があったりして…。
こういう人たちには逸話がつきものです。
さらに調べてみると面白いかもしれません!
最後までご視聴いただき、どうもありがとうございました!