こんにちは、ナミです。
世紀の大発明は、世界中で誕生しています。
人の暮らしを豊かにしたり、命を救ったり。
すぐには身近に感じられないものもありますが、
なんにせよ希望に満ち溢れていますよね。
その裏には、計り知れない努力や苦悩があるのだろうと、誰しも思いますよね。
でも、多くの発明家が自らの開発品で命を落としているなんて、
想像もしないのではないでしょうか。
そこで今回は、自分が作ったものに命を奪われた発明家5人をご紹介します。
あまりにも悲し過ぎます。
Contents
1:トマス・ミジリー
彼はとても優れた発明家です。
一方で、その発明品で“歴史上最も多くの人を殺した”という、
不名誉な言われ方をしています。
彼が生み出したのは、有鉛ガソリンです。
半世紀ほど前までは、日本でも車のガソリンに使われていました。
しかし、とある地域での鉛中毒の蔓延を発端に禁止されました。
実は、彼自身も50歳を過ぎて中毒に陥りました。
病に倒れながらも、やはり発明家です。
今度は、何とか自力で起き上がるための器具を作りました。
その顛末は、決して明るいものではありませんでした。
器具が首に巻き付いてしまい、窒息死したのです。
2:オットー・リリエンタール
彼が作ったのは、ハンググライダーです。
航空に関する開発のさきがけと言われています。
何事もそうですが、機能性と安全性の両立が不可欠です。
有人飛行は夢がありますが、その確認作業はまさに命懸け。
彼は5年の歳月をかけて、2500を超える実地試験を行いました。
いつもどおり空を飛んでいたある日、
急な突風に煽られて、約20メートルの地点から地面に落ちました。
彼は脊椎を折り、48歳で命を落としました。
「小さな犠牲は払わねばならない」。これが彼の最後の言葉です。
まさに人生をかけた発明でした。
3:フランツ・ライヒェルト
今のパラシュートの原型となるものを開発しました。
本業は仕立屋なので、良い素材と職人技で完璧に仕上げました。
絶対の自信があったのです。
それを証明するべく、彼はデモンストレーションを行うことを決め、
大勢の人とマスコミを集めます。
中途半端では逆効果になると考えたのでしょう。
エッフェル塔をその場所に選びました。当時の世界一高い建造物です。
彼は、高さ60メートルのデッキから飛び立ちました。
しかしパラシュートは開きませんでした。
多くの目撃者が見守る中、その場で死亡が確認されました。
4:ウィリアム・バロック
この発明が、今の新聞印刷の技術に繋がっています。
彼は、160年ほど前に、輪転機を開発しました。
60分で1万枚を刷り上げる、当時には画期的な機械でした。
その後、進化させたニュータイプを作りました。
ただ、その組み立てが思うようにいきませんでした。
何度も壁にぶち当たってきたはずでしたが、
いらだつ気持ちを抑えられず、滑車に向かってベルトを蹴り入れました。
ベルトが足を離れず、輪転機に巻き込まれたのです。
彼の足は壊死状態になり、数日後に切断手術が行われました。
しかし、その手術中に亡くなりました。
5:マリ・キュリー
夫のピエールとともに、研究に心血を注ぎました。
“キュリー夫人”という呼び方は馴染みがありますね。
元素に、祖国の名“ポロニウム”とつけたことも有名です。
また、ウラン鉱石からラジウムも発見しました。
ノーベル賞の物理学賞と化学賞を受賞したことが、
その功績を物語っています。
しかし、熱心な研究の間、放射線にさらされていました。
それにより、再生不良性貧血で亡くなりました。
パイオニアが相手にしているのは、人間にとって未知のもの。
いつの時代も危険と隣合せています。
まとめ
いかがだったでしょうか?
自分の命を「小さな犠牲」と言えるなんて、すごいですよね。
小物の私には、本望だなんてとても思えそうにありません。
悲しい最期を遂げた偉人たちですが、
生きていたら、さらに世界を驚かせる発見をしていたんでしょうね。
本当に残念です。
世の中の便利なもの。それを私たちは当然のように使っています。
長い年月と歴史があることを、忘れてはいけませんね!
最後までご視聴いただき、どうもありがとうございました!
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